個人での「あいまい戦略」はあまり許されるべきではないだろう
どこかの新聞社のニュースサイトで
歴代の米政権は中国が台湾に侵攻した際、米国が台湾を防衛する意思があるかどうかを明らかにしない「あいまい戦略」を取ってきた
という文章を読んだ。
今回の訪日で「バイデンの票が倍でんねん!」でおなじみのバイデン大統領が、それを踏み越えた発言をした、という趣旨のニュースだったのですが……
あいまい、という言葉は普通あまりいい意味で使われないと思うのだが、世界一の軍事国家・アメリカ合衆国がこれまで長きに渡って「あいまい戦略」を取ってきたというなら、これはきっとかなり高度な戦略に違いないだろう。
しかし、「あいまい戦略」という言葉があまりポジティブな意味で広まってしまっては困る。
なぜなら、これにならって、ニートが「働くか働かないかあいまい戦略」を取ったり、天気予報士が「晴れか曇りか雨かあいまい戦略」をとったり、不倫相手の子供を産んだ女が「アナタの子供かそうでないかあいまい戦略」を取ったりすると、世の中は混沌としそうだ。
国家間レベルの話ならともかく、個人での「あいまい戦略」はあまり許されるべきではないだろう。