父の思い出1
父の日だったんですか?いつ?昨日?
俺はもう39歳にもなるというのに、母の日も父の日も何月何日か知らないんだよ。
昔は知っていたような気がするけど、もう忘れた。これが通信高卒IQ120の末路だ。
前に書いたかもしれないけど、俺の親父はともかくはたらく仏像みたいな人だった。仏じゃないよ。仏像。
ともかくしゃべらないんです。もう連載初期のミストバーン(©ダイの大冒険)くらい喋らない人だった。
そしてものすごくおとなしい。怒られたことなんて記憶にない。一回くらいあるかもしれないが、はっきり覚えてない。
※昭和の親父らしく大のジャイアンツファンで、巨人の選手がミスすると怒ることはあった。俺より元木選手のほうが俺の親父に怒られていると思う。
ま~、母親が人の3倍おしゃべりで人の5倍短気だったので、ある意味ではつりあいがとれていたのかもしれません。ちなみに俺の性格は圧倒的に母親似。
自営業だったので、365日のうち364日は仕事をしていた。
タバコを吸わず、ギャンブルもせず、女遊びもせず。酒は350ビール缶を一日一本、きっちり守る。あれだけ無口なら当たり前だろうが、友達もあまりいなかったみたいだな。
今でこそすさまじく立派な親父だったとわかりますが、まったく怖くないのでガキの頃はすっかりナメきってましたね。
中学くらいで反抗期が来た時は「オッサン」と呼んでました。それに特に何の反応も示さず……力仕事もしていて体格が良かったので、ケンカにでもなれば俺が1000%負けていただろうに。
ただ、優しくてアタマのいい人だし、喋らないんだけど喋るとけっこう面白いので、基本的には親父のことは好きでしたね。
いい親父だったのですが、いい人間の常で早死しました。本当に突然バッタリ。40代だぜ。
親父が死んで、家族は空中分解して今に至ります。もともと問題だらけの家庭だったのですが、父親がいる間はなんとか形を保ってたんですよ。やっぱり父親の存在というのはものすごく大きかったのでしょう。
金や土地などの資産をかなり残して死んだ(らしい)ので、母親はまったく苦労しなかった。
俺がその後ひきこもりになっても悠々自適だったんだから。
親父が生きてたとして、ひきこもりになっても全く怒らないだろうな。そんで、何も言わずにどっか遊びに連れてってくれるんだろう。そういう父でした。
大型免許も持っているほど運転がうまかったので、無言の父の横で助手席に乗っているのが好きで今も懐かしい。
※そういえば、免許を取りにいったとき、親父が生きていれば助言してもらえるなあと何度思ったことか。
こんな親父の下で育ったせいか、親父が早く死んだせいか、俺は父と子の物語に圧倒的に弱いです。マンガでも映画でもドラマでも父と息子の話にはだいだいグッと来てしまう。
アメリカの映画やドラマが好きなんですが、その理由のひとつに、アメリカ人というのは父親との関係性を重要なテーマと捉えているフシがあるせいかもしれません。